経営者のひとりごと

ギャップの向こうは、いつも曖昧だ

マネジメントとは、期待と現実の差を埋めること。

そんな定義をどこかで聞いて以来、ずっと頭の片隅に残っている。

確かに、マネジメントを説明する上ではわかりやすい。

けれど、本当にそうだろうか。

ここ最近、その前提に少し違和感を覚えている。

期待値と現在値、その値もまた、誰かの基準によってつくられた“比較”の結果にすぎないのではないかと。

たとえば会社がスタッフに対して持つ期待。

それは本人の過去の実績をもとにしたものかもしれないし、他の誰かとの比較から生まれたものかもしれない。

一方、現在値もまた「この人はいまこれくらいできている」と誰かが判断した値だ。

つまり、期待と現実のどちらもが他者による評価の上に成り立っている。

そう考えると、「ギャップを埋める」という行為は、実は“誰かの基準に近づける”ことにほかならない。

そこに本人の意思や価値観は、どれくらい反映されているのだろうか。

もしその基準が一方向的なものであれば、マネジメントはいつの間にか“調整”ではなく“矯正”に近づいてしまう。

では、本来のマネジメントとは何なのか。

ギャップを埋めることではなく、何を「期待」と呼び、何を「現状」とみなすかをすり合わせることではないかと思う。

つまり、「ギャップの意味を共有すること」こそがマネジメントなのだ。

そのためには、比較ではなく文脈が必要になる。

過去との比較でも、他者との比較でもなく、「なぜこの方向を目指しているのか」「どんな価値を生みたいのか」という文脈の共有が、会社とスタッフの間にあるとき、はじめて“期待値”は双方にとって意味のあるものになる。

結局のところ、マネジメントとは“差分を埋める作業”ではなく、“差分の意味を問い直す対話”なのかもしれない。

その対話のプロセスこそ、心的対比のデザインと呼べるのではないか。

誰かの定めた理想に向かうのではなく、今この瞬間における「ここにいる意味」を共有すること。

そして、その共有から生まれた行動が、結果としてギャップを埋めていくのなら、それこそが、健全なマネジメントなのかもしれない。

Takanobu Maruyama